しぃ庵*こうへい唄筆

胸の根っ子が 意地を張る

2023.6.2 武田鉄矢の昭和は輝いていた

 

《 歌謡曲の原点・民謡の魅力 》

南部牛追唄

黒田節〜詩吟・浪曲入り〜

南部蝉しぐれ

紹介していただいだVTRを、懐かしみながら拝見させてもらうと あらためて

いわゆる、自然界にある音を使ったアンビエントミュージックだとか 癒やし系のヒーリングミュージックってジャンルがあるけれども

彼から発せられるものが、鳥の鳴き声や川のせせらぎに聞こえることがあるんだよ

” そんな気がする “ のではなくて、もう鳥や川に確実に憑依しているからアンビエントでもヒーリングでもない域だ

いや、鳥は分からなくもないが川に憑依って何なんだよ? いやいやいや、福田こうへいをみくびらないでくださいますか 彼は川にだってなりますとも←誰と話してんだ★

ぐらいな声よ

 

 

福田こうへいのデフォルトは、まっぎれもなく『民謡』
基本は基本として絶対に変えず、独自の魅せ方で鳥にもなり川にもなり みずみずしく聞こえるんだ

みずみずしき新しさ

あたしのような者でもグッとくるのは 節、調子、展開、が いつも同じパターンではないところも魅力的

楽器の音色も重なりながらの、その時その時のさじ加減の妙味なんだろな

えーなんか、さじ加減なんて小生意気な言い方になっちゃうけどさ

きっと、きっとだけど場所や状況や響きや馴染みなどを肌で瞬時に感じとって 瞬時だけどナチュラルにさじを加減してゆけるんじゃなかろうか

あたしゃ「さじ」すら危ういが…(苦笑)

 

申さば

福田こうへいの民謡は肉感

現実逃避ではなく自然回帰であり

福田こうへいの声は光沢

精神解放ではなく精神的健康なのだ

 

自分の人生を思うと

感情を素直に表に出しちゃいけない場面って、今まで何度も出くわしているし

感情を持たないように意識してた時期も、振り返ればたくさんあったりする

民謡は作業唄とも呼ばれるが、福田こうへいのそれはただ状況を唄ってるわけじゃなくて 実に喜怒哀楽が込められていて

「あぁ喜怒哀楽すべての感情を持ってていいんだ」と、固まった心を優しくゆっくり解(ほど)いてくれ

むしろその感情を、物であれ人にあれどう表すか 彼の声を聞けば聞いた分だけ 表現のさじ加減を計ってゆき

帰結、どれだけ豊かでいられるか

喜びと楽しみばっかりじゃなくて 怒りと哀しみもしっかりたずさえた上での心身で、どれだけ豊かに向かえるか

そっちなんだ

そっちでいいんだ

道しるべを教えられ、みちびかれ、先へ進める

進んでって、いいんだなって

 

あたしが記すまでもなく、武田鉄矢さまの言葉や文章の型どりって素晴らしくて

進行のみならず、説明するにしたって質問するにしたって言葉に深さがあるのだが 中でも「ワークマンの息づかい」と、示されのには納得&感動したなぁ

福田こうへい

その息づかいを、肉感と光沢をもった唄声にして

とっても豊かに届けてくれているんだね

(⁠/⁠¯⁠◡⁠ ⁠‿⁠ ⁠◡⁠)⁠ノ…🎶

 

 

 

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